History and Characteristics of LaPerm (2)
ラパーマの歴史と特徴 (2)
最初の1匹が生まれてから10年間、ラパーマは人間の管理を受けずに自然交配で数を増やしていったとされています。しかし実際どこまで本当なのでしょう。
WikiやWebサイトなどは(当事者が書いたもの以外)あくまで伝聞情報で、しかも後日書き換えが可能です。一次情報にできるだけ近く、書き換え不能な資料はないのでしょうか。
(Click here for the English translated page)
アメリカを中心とした過去の新聞記事を検索できるサービスで探したところ、こんな記事が出てきました。ラパーマの最初の1匹が生まれた1982年から13年後、1995年8月29日の「The Tribune」の記事です。
The_Tribune_Tue__Aug_29__1995_ 29 Aug 1995, Tue The Tribune (Scranton, Pennsylvania) Newspapers.com
日本語訳は長いのでPDFで以下に貼り付けます。
「The Tribune」はアメリカ合衆国ペンシルバニア州スクラントン地域の朝刊で、記事が掲載されているのは32ページ中の17ページ目。日本の新聞なら生活面でしょうか。
本当に屋外で飼っていたの?
1980年代のアメリカ農村部で、どのような猫の飼い方が標準だったのかはわかりません。
ただ、記事には「納屋猫」(資料1)として猫を飼っていたとあり、しかも、
「この子が生まれたのが夏だったのが幸いでした。ここの寒い冬にあの猫が生きていたかどうかはわかりませんから」
とあるので、冬でも屋内に入れていなかったのでしょう。ザ・ダルズは過去の最高気温の記録が44℃、最低気温の記録が-26℃(資料2)という、寒暖差の激しい土地ですから、薄毛の子猫が生き残れるかを心配するのは、無理もありません。
本当に10年間も放し飼い?
放し飼いなのは間違いないとして、それでも10年間も放置していたのでしょうか。
記事には、
「1992年のポートランドショーから間もなく、Koehlさんは放し飼いにしていたラパーマの納屋猫たちを集めて、保護のために管理された環境に置き始めた」
とあります。
Wikiや他Webサイトのほとんどが、このショーの開催年について「1990年代」と曖昧に書かれているので、この記事は開催年を特定できるという意味で大変貴重なものです。
本当に10年間、放し飼いにしてたんですね。
サクランボ農園はどんなところ?
そうなると、サクランボ農園自体がどんな場所だったのかが気になります。
記事には広さが10エーカー(40,468.6平方メートル)とあります。ワールドカップサッカーのピッチサイズ(105m×68m、7,140平方メートル)と比較すると、その約5.7倍。経済合理性は別として、農園全てを高い塀で囲うことも不可能ではないでしょうし、そうだったら放し飼いといっても状況が違ってきます。
さすがにこの記事には個人情報はそれほど多くは載っていませんが、いくつかヒントがあったので、それを元にLinda Koehlさんのサクランボ農園の場所を特定しました。
(※Linda Koehlさんは2016年に他界され、農園は既に売却されています)
遠くの丘まで続く広大な果樹園。もちろんLindaさんの農園はごく一部だけれど、地続き。塀で囲われているなんてことはありません。
こんな場所で猫を放ったら、はたしてどこまで猫は出歩くのでしょう。少なくとも繁殖制限なんて絶対無理です。
さらに、農園と納屋の写真も見つけることができました。
この写真の納屋のいずれかが、ラパーマが生まれた場所です。私にとっては聖地。博物館にしても良いくらいの場所と思います。
ラパーマが発生から10年間、どんな環境で自然繁殖していたのかについて、当時の資料と最新のWebサービスの情報を元に、かなり具体的に確認することができました。
そうなるとまた気になるのは、10年間自然繁殖した時点でどれだけラパーマが増えていたのか、そのラパーマが現在のラパーマと同じなのか違うのか、など。これについてはまた別の記事に書きたいと思います。
資料
1 : 納屋猫
2 : ザ・ダルズの気候